猫の新しい糖尿病治療薬(経口薬)は朗報か?・・・あらためて考えてみる
発売から既に半年以上経ちますが、昨年の秋に猫の新しい糖尿病の「飲み薬」が発売されました。
糖尿病の治療と言えば、「インシュリンの注射」が思い浮かぶかもしれません。
猫の糖尿病では多くの場合、インシュリンの注射が必要になります。(継続が必要かどうかは別として)
実際に猫に毎日インシュリンの注射をすることは、そんなに簡単な事では無い事は、誰しも想像すると思います。
「大変なインシュリンの注射が、〝飲み薬〟に変えられるなんて、猫にもご家族にもこんな良いことはない!」と、
言いたい所ですが・・・
残念ながら、「インシュリン注射の代わりになる飲み薬」ではなく、インシュリンとは全く別の作用機序で糖尿病に対処するお薬です。
まず、この飲み薬の働きを考える前に、血糖(血液中の糖)と尿糖(尿中の糖)の関係を見てみましょう。
腎臓は血液中の老廃物を取り除き、身体の微調整のために尿を作ります。
正常な状態では、腎臓で血液から尿が作られる始めの過程では、血液中の糖は尿の素となる〝原尿〟の中に出ていきます。その後、原尿へ出された糖は、ほぼ全て「再吸収」と言う働きで再び血液の中へ戻されます。そして最終的に作られ身体の外へ出される「尿」の中には糖はほとんど含まれない事になります。
一方、糖尿病になると、血液中の糖が多すぎて(高血糖)、原尿に含まれる糖が過剰になり再吸収が追いつかなくなります。結果として尿の中に糖が漏れ出て尿糖が増えて、いわゆる「糖尿」となります。
「新しい飲み薬」の働きは、腎臓で尿が作られる過程において、始めに原尿に出されてから本来は身体に戻されるはずの糖を、「再吸収させずに」そのまま尿の中に糖を積極的に排泄させる働きをします。
つまり、血糖が高くなる原因は変わらないまま、とりあえず尿の中に糖を捨てる量を大幅に増やす事で、血液中の糖を正常に保とうとするお薬です。当然、尿には糖が出続けます。
この飲み薬の目標は、高血糖が続きインシュリンの反応や働きが悪くなった状態(糖中毒)から、まずは正常な血糖値に保つ事により、インシュリンの働きや反応を回復させる事にあります。
インシュリンの注射も糖中毒から回復させる為に使われますが、新しい飲み薬との大きな違いは、インシュリンの注射は糖中毒により自力では上手く働けなくなってしまった状態を、本来の身体の仕組みに近い働きで、インシュリンを補う形で糖尿病に対処します。
対して新しい飲み薬は、身体の仕組みをやや変えることで、血糖値を下げようとするものです。
猫が糖尿病であると診断された場合(特殊な問題は無いと言う前提で)、今まではインシュリンを使うのですが、新しい飲み薬をインシュリンの代わりとして使うことが出来るのかを、実際に飲み薬を使うことを想定して考えて見ましょう。
この飲み薬を使うためには、薬が使えるかどうかの〝条件〟をよく吟味する必要があります。
具体的には
第1段階として
・元気があり、普段と変わらない
・食欲があり、普段と変わらない
・嘔吐、下痢などをしていない
・最近、体重の減少がほとんど無い
↓
これらの条件をクリアしたら、
第2段階として
・尿検査または血液検査で「ケトン体」がマイナスであること
↓
第1段階、第2段階、いずれもクリアしなければ、この薬を使う対象になりません。
つまり、このお薬は使えません。
もし、それぞれをクリアし、条件が整い、使い始めた場合も以下の注意と検査が必要です。
↓
実際の飲み薬の投与開始から
・食欲低下、下痢、嘔吐は無いか?
・投与2日目、3日目にケトン体検査が必須
・7日目、14日目、にケトン体検査の他、身体一般検査、血液検査、体重チェックが必須
(これは、製薬メーカーが指示しているモニターです)
もし、私が実際にこのお薬を処方する場合、自宅で毎日、元気食欲、下痢嘔吐の確認の他、尿スティックによるケトン体のチェックをお願いします。
前述したように、このお薬の仕組みとして、血液中の糖を尿の中へ積極的に排泄する事になります。
この時に、正常の尿に比べて、尿の中へ糖と共に水分が多く排出される事になります。
つまり、この飲み薬を継続していく時には脱水症状が起きやすくなり、その点の注意が必要です。
更に、この薬の最大の注意点は、薬の投与後に、ケトン体が増える「ケトーシス」と言う状況になっていないかを、非常に注意深く確認して行く必要があります。
この飲み薬は、血糖値を正常範囲に保つ働きをしますが、インシュリンの注射とは違い、血糖をエネルギーとして利用すると言う働きはありません。従って、糖中毒から正常血糖値になり、自前のインシュリンの働きが回復するまでは、糖がエネルギーとして使われづらい状態が続くために、「ケトン体」が増える可能性があります。
もし、飲み薬の開始後に検査でケトン体や脱水症状が出た場合、もしくは既に脱水やケトーシスが進んだ「ケトアシドーシス」となった場合は、直ちに薬を中止して、インシュリンによる治療が必要になります。
飲み薬を開始後、何とか2週間を乗り切ったら、引き続き注意深い観察を続けます。
その後、投薬開始4週目に検査をします。その後3ヶ月毎の検査が必要です。
(これは、製薬メーカーが指示しているモニターです)
前述同様に、私が実際にこのお薬を処方する場合、他の症状は安定していても、自宅での尿スティックによるケトン体のチェックは、週に数回のペースで継続が必要と考えます。
その他の注意点としては、
このお薬を飲み続けている限り、尿は常に糖尿状態となります。そのため、糖尿では雑菌が増えやすい状況となるために、尿路感染症(膀胱炎や尿道炎)にも注意が必要です。やはり、定期的なモニターが必要と考えます。
ここまでを振り返ると、新しい飲み薬がインシュリンの注射の代わりではない事をご理解頂けると思います。
補足として
この新しい飲み薬は、人ではSGLT2(ナトリウム・グルコース共輸送体2)阻害薬として、2014年から使用されている比較的新しい糖尿病のお薬です。インシュリンの注射と組み合わせて使用する場合もあります。また他のお薬との合剤も使われています。
人では、このお薬が使用され始めてから、「糖尿病治療におけるSGLT2阻害薬の適正使用に関するRecommendation(勧告)」が出され、数年毎に改定されています。
やはり、このお薬の使用に際しては患者さんへの注意深い観察が必要となっています。
いずれにしてもこの新しい飲み薬を使う場合、動物病院でよく相談された上で、動物の状態を注意深く観察しながら治療して行く必要があります。
(インシュリンの注射の場合も十分な観察や注意は必要ですが)
過去コラムでもお話していますが、(特殊な原因が無い前提の)糖尿病は、「生活習慣病」である事を今一度ご確認下さい。
インシュリンによる治療を行う場合も、飲み薬を使う場合も、糖中毒から離脱してインシュリンの働きが回復できたら、食事や生活環境の根本的な見直しと改善が必要となります。
ご参考になりましたら、幸いです。
